青空ようちえん
2003『幼稚園の選び方 』(豊中市の幼児教育を考える会 発行)に掲載されたものをご紹介します
森の子教室とは
小、中学校で教職経験のあるゆうこさんが、1998年にこの森の子教室をスタートさせました。早期教育や知識の詰め込み、切り刻みの時間、目先の出来ばえばかりを追いかけて、心が置き去りになっている、そんな昨今の幼児を取り巻く環境に疑問を感じ、今、子どもたちにとって本当に大切なことは何かを考え、実践していこうと立ち上げたものです。
週3回、基本的に雨でも雪でも天候に関わらず津雲公園を中心に、野外で過ごす青空保育の教室です。
縦割り保育で、年少が3番さん、年中が2番さん、年長が1番さんと呼ばれており、ゆうこさんは子どもや保護者からも、「ゆうこさん」と呼ばれています。
「幼児期の集団生活は、小学校の準備期間ではない!」といいきるゆうこさん。「今しか出来ない」「今だから必要な事」を、生活レベルで体験する事に重きを置いて、保育を実践しています。
子どもが主役
大人が全て仕切り、スタッフにまかせておいたらいい、という受身ではやっていけない。子供たち自身が、自分の森の子いう気持ちをもたなくては。森の子は小集団(約20人)ですが大人二人で手助けできないところは、こども同士がフォローしあうような関係ができています。縦割りの中で先輩から後輩へと、受け継がれることも重要です。森の子の子どもたちの関係は、気の合う者が集まったなかよしグループではなく、本当の意味での「仲間」です。そうでなければいけないと思っています。
自分の森の子だからこそ、森の子の中で起きていることを、我が事として考えられる。そういうものの見方はとっても大切なことです。そこから社会を見る目が養われてゆきます。今の大人にも欠落している部分ではないですか?社会で起きていることに対しても、自分の身にふりかからなければ他人事です。しかし、受け身ではなく主体的に森の子を自分の居場所として築いて来た人は、この場で起きたことを放っておけません。こうした関係や捉え方の中で、実際に子どもたち自身が森の子を作っていってるんです。
保育者としての私
私はプロではないのかもしれない。最近認識したんですけれどね。“お仕事”と思ったらやっていけない。もしかしたら仕事の枠を越えているのかもしれないし、完全に人生と重なっているのかもしれない、と思うんですよ。子どもと向き合う仕事は、その人の人生にも大きく影響するわけですから、仕事の定義というものを真剣に考えなければいけないと思っています。私は森の子の中で“ゆうこじゃなければできない仕事”がしたいので、尚のこと、責任は重大ですが辛い部分も含めて、私自身が仕事を楽しいと思えなければ、一緒に過ごす人も、もちろん楽しくはないはずです。
森の子に入ったばかりの時期は、「私は子どもたちの全てを受入れます」というんですよ。受入れられ、認められれば、心はほぐれていく、その時はじめて子どもたちもこちらを認めるわけです。 私は子ども達から先生でなく、「ゆうこさん」と呼ばれています。それは「先生」という肩書きの上で子どもたちとの関係を作りたくない、という思いと、肩書きがなくても、本質的な人間性で子どもたちに認められる人にならなければ、という自分自身への課題でもあるんです。子どもたちとは、上下関係ではなく、人間同士のつき合いをしたいですからね。対等な人間関係を持ち合わせながらも、彼らが安心できるための、精神的な支えとなる必要がある。子どもたちが、「ゆうこは大人か?子どもか?」なんて話していることがありますが、まさに、ある時は大人であり、ある時は子どもでもある、そんな存在になりたいですね。「ゆうこは男か?女か?」と議論していることもあるようですが(笑)
私が子どもたちにいったい何ができるのか、と考えると、答えはただひとつ、彼らと“本気”で向き合う事。正直、それだけかもしれない。「そこまでせんでも・・・」という程、子どもにぶつかってゆく時もある。「そこまでさせんでも・・・」という位、子どもに任せきることもある。彼らと本気とで生きてゆきたいのです。こんな大人との出逢いもどこかで役に立つ時がある。そう思っているんですけどねぇ。
子どもの世界には正解例というものは一切ないと思います。性格が違えば環境も違う。経緯も様々だし、同じ子でも、心の動きや精神状態は波のうねりのように、日々動いているのですから。それら全てを把握することはできないけれど、毎日一緒にかかわっている中で、その人に対してどうすればよいのかを「うーん」と悩む事が私らの仕事だと思うんですよ。結果的に正しい判断ができたかは、すぐはわからないし、常に正しい判断ができているとも思わないけれど、今、自分が心を動かして考えたことで、さらにその人との関係を深めることができると思うんですね。答えはひとつじゃないですから。 気のきいた言葉を探すより、その人に対して、いかに本気で自分の気持ちをかけるか、ということの方がよっぽど伝わるんだということを、私自身の体験の中で気づいたんです。どれだけ好きになれるか、どれだけ愛しいと想えるのか、が人とのつながりにとって何より大切だと思うようになりました。
当然、森の子の子どもたち、どの子にも愛情を持っています。けれど、軽々しく「みんなおなじように可愛いんです」なんてことは言えません。どうしても心がつかみ合えない子や、気の合わない子はやっぱりいますよ。そんな時「好きになりたい」と願うように、絶対どこかにつながれるところはある、と一生懸命探すわけです。森の子はみんな同じように、というような博愛的なものとは違う。ひとりひとりとの真剣勝負なんです。 私が子どもを心から愛し、子どもたちからも求めてくれないと成り立たないんです。もがきにもがいて、やっと気持ちが通じたという例もあります。実際そういう体験はその子にとっても、私にとってもとても意味のあることなんです。見えない何かが通じたと感じた時、不思議なくらいスムーズな、いい関係になれる。やっぱりお互いに求め合わないと・・・。恋愛と一緒ですね。もちろん好きになってもらう為の駆け引きはありますよ。
ものすごい駆け引きが。子どもたちからはきびしく試されます。だからこそ、森の子たちと本気の恋愛がしたいんです。
取材を終えて
まずお会いして「なんて目のキラキラした人だろう」と思いました。目は心の鏡とすれば、輝く瞳は子ども達に対する熱い思いの表れでしょうか。よく通る声と、笑顔は、明るくて、はつらつとした印象をさらに強くしました。ここまで身体と心をはって、真正面から真剣に子ども達と向き合っている大人がいてくれるという事は、子どもを持つ母親として、胸が打たれました。「森の子を踏み台にして、踏み倒して、次のところへ行く力がついたらいい」というお言葉どおり、森の子教室を土台にして羽ばたいた子ども達には「どうぞ将来が多難でありますように」と願います。 どんな困難でも、乗り越えてそれを生かしていこうとする大人と一緒に過ごした体験は、すぐではないかもしれませんが、必ず芽を出して大きな花を咲かせるように思いました。