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田畑 祐子

たばた ゆうこ

子どもたちには「ゆ〜こ」と呼ばれている。

大阪生まれ。千里の団地で育つ。

子ども時代から謎のあそびを作り出すことが好き。

そのあそびは今も子どもたちと継続中!幼い頃から大好きなTV番組「NHK新日本紀行」と「金高かおる世界の旅」(皆さん知ってるかしら?)を長年見続ける。子どもにしては渋すぎ。父との早朝散歩の楽しみと共に後の人生に影響していく。

部活で汗を流す傍ら高校時代からひとり旅に目覚め、バックパック・ヒッチハイク・野宿で各地を巡る。旅先では地元で出会うおじいちゃんおばあちゃんの暮らしから大きく刺激を受ける。

特に通った北海道では日本にアイヌという先住民族がいることに衝撃を受ける。

 

またもTVになるが、小学5年生の時にある青春ドラマの中で若い教師が let's begin!と叫んでいた。その言葉に自分を肯定された様な思いになる。「とにかく何かを始めよう!」いまも大切にしているこころのスローガンだ。

 

小・中学校臨時教員を経験後、インドで学校設立プロジェクトに参加。デザイン・イラスト・カメラマンの仕事を続けながら、1988年9月 長男が生まれた年に、子どもが創る子どもの時間「アトリエ自由学校」を始める。その後経験した植木屋の仕事に野外保育の道へと導かれる。1998年4月 次男の小学校入学を機に、園舎を持たない青空保育「森の子教室」を開設。三男は森の子1期生と同じ年齢。

子育て真っ只中でひとりで始めた自由学校と森の子教室。迷いながら試行錯誤を繰り返し今に至る。

気がつくと、いつの間にか子どもも大人もたくさんの仲間たちと共に歩んでいる。 感謝!

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福井 李果

ふくい ももか

福井 李果
もも
森の子、修了生(3期生、ジャングル)
森の子時代は男5人の中の姫でした。(お嬢?)

大阪の豊中、端っこの方出身、
大阪空港の滑走路横がお散歩コースでした。
森の子時代から変わらず、興味のあるものに対してドーン!といくのではなく、ヌルッと挑戦していくタイプで、世の中にある興味、関心、そして疑問にぶつかりながら大きくなりました。中学の頃に通っていた英語塾で、赤点最下位クラスの補欠で出たスピーチコンテストで準優勝し、「あ、英語好きかも」と思い、そこから海外の文化や言語、そして人に惹かれるように。
高校時代に英語のテストはずーーっと赤点ですが「賢い人しか教師になれないのか?英語が好きじゃダメなのか?伝えたいのは言語のその先や!!」と思って教師を目指し、和歌山大学の教育学部へ進みました。
和歌山での一人暮らしを大満喫、海外を飛び回り色んな場所に故郷を持つ喜びを知りました。
サークルではタイでの教育支援を行い、個人も含め6回ほどタイへ足を運びました。活動において学生ボランティアの限界を感じると共に、もっともっと色んな世界の色んなことを制限なく知りたいと思うようになりました。教育のことはすこーし学んで、子どもが好きだなーー、一緒に育ちたいなーって思いでなんとか卒業しました。
卒業後は小学校で講師をした後、青年海外協力隊としてグアテマラに派遣。現地で教育支援を行う予定でしたが、コロナウイルスが全世界に広がり、緊急帰国となり、活動は打ち切りとなりました。グアテマラのアミーゴ、ファミリアたちは元気かな?

結局どこでもなんでも人とのつながり、人の優しさに尽きることを、日本でも海外でも、そしてグアテマラでもつくづく思い知らされました。人がいて初めて想いは形になる。


帰国後のらりふらりとしていたところ、ゆうこさんからの「森の子やらへん?」をきっかけに森の子へ還ってきました。

人生、タイミングと決断だとつくづく思わされる毎日です。

森の子たちと今を生きています。

さあこれからの人生、何して遊ぼうかなぁ!!

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安達 小春

あだち こはる

森の子7期生のこはるです
今大学3年生でスポーツ栄養を勉強してます
中高と陸上をしておりバリバリ走ってました
今も趣味で走りに行って、現役時代ぐらいに戻りたいなと思いつつ、、

コロナで学校の授業が全てオンラインとなって、ゆうこにお助けスタッフとして来て欲しいと言われてから、今現在スタッフとして、学校に通いながら週1回はつくもで森の子達と過ごしています。
コロナがなかったら、こういう道はなかったかもなと思うと、すごい運命だなと感じてます

出逢いに感謝!!

◉ 裏方のスタッフとして森の子保護者出身の2名がいます 

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